イスラーム・シーア派と僕(11月1日)
最近「シーア派の歴史」という授業を通じて、俺は今イランにいるんだなーということに改めて気づかされました。当たり前と言われればそれまでなんですが、シーア派による自宗派に対する認識って他者のそれと全然違うんですよね。要するに、自分はこれまで他者の視点からこの集団について勉強してきたんだなー、と気づかされたわけです。せっかくですからこの内と外による認識の違いについて大雑把に書いてみたいと思います。あ、シーア派=12エマーム・シーア派でお願いします。
スンナ派とシーア派
シーア派とはイスラームの二大宗派の一つであり(今ひとつはスンナ派)、信徒数からいえばムスリム全体の10~15%程度を構成する少数派である。地域的にはイラン、イラク、バハレーン、パキスタン、インド、アフガニスタン、レバノン、サウディアラビア、クウェートなどに分布している。二宗派の教義的違いを挙げれば、スンナ派が『クルアーン(コーラン)』と『ハディース(預言者ムハンマドの伝承集)』を聖典として信奉するのに対して、シーア派はこれら二つに加えて諸エマームの伝承集も聖典と見なす。エマームとはこの宗派にとり預言者死後のイスラーム共同体(ウンマ)を率いる「正統」な政治的・精神的指導者であり、預言者の従兄弟である初代エマーム、アリー・イブン=アブー・ターリブと彼の子孫を指す。こうしたシーア派の教義的特徴は、この宗派の本来の名称が「シーア・アリー」(アリーの党派)であったことからも伺えよう。なお、スンナ派の場合、預言者以後の指導者の属性として精神性は重要視されず、ウンマ間の合議(現代的に言えば選挙)による選抜をもって正統と見なされる。(※)
(※)とりあえず、スンナ派は神であるアッラーフの教え(コーラン)と預言者ムハンマドが言ったこととやったこと(ハディース)が絶対で、これら2つの聖典に書かれていることを守り、正しく応用すればより良いイスラーム的な社会を築けると考える集団で、指導者はみんなの合意で選ばれれば基本的に誰でもOKっていう立場。他方シーア派は、エマームたちが言ったこととやったことも聖典と見なし、さらに結局のところこれら3つの聖典が教えるイスラームの極意は預言者の血が流れるエマームにしかわからないからエマームが指導者になるのが一番だ!、と唱える集団だと思ってください。
ちなみにエマームは9世紀の後半に12代目がこの世とは違う世界にお隠れになってしまい(「ガイバ」と言います)、終末の日に再度この世界にやってきてシーア派信徒を天国に導くとされています。イランでは不在のエマームの代わりとして宗教法学者が一時的に信徒の指導者になるとされています。まだまだ説明不足ですが長くなるのでこの辺でやめときます。
シーア派の歴史をめぐる外部からと内部からの認識の違いは、この宗派の性格に対する認識の違いです。そしてこの違いはこの宗派の形成プロセスに対する理解が関わっています。以下この点について、スンナ派世界とシーア派世界におけるそれぞれの理解を簡単に説明します。
スンナ派世界におけるシーア派理解
預言者死後のウンマを指導する後継者選抜においてムスリム内有力部族長からなる合議で選ばれたアブー・バクル(初代カリフ=後継者)、ウマル(2代目)、ウスマーン(3代目)3名の指導体制に反対し形成された少数派集団、或いはアリーの死後、世襲制のスンナ派イスラーム王朝ウマイヤ朝を否定しこれに抵抗するために形成された少数派集団とする(※)。この場合、「政治勢力としての宗派」という意味合いが強く、シーア派世界から異議が唱えられている。
(※)こうした視点からのシーア派の形成時期に関しては諸説ある。
シーア派世界におけるシーア派理解
シーア派はイスラームそのものであると考える。要するに、この宗派は少なくとも概念や理念として預言者の時代から存在してきたとする(故に宗派の政治性は極めて薄い)。元来シーア派こそが、ムハンマドの不在をエマームによる指導体制をもって補完する預言者後イスラームの正統な後継者であり、スンナ派による指導体制は基本的にイスラームを歪めるものでしかないという立場。こうした理解の根拠として、632年のガディール・ホンムという名の池での預言者による後継者指名の伝承がよく引用される(※)故に、上記3名のカリフを認ない。
(※)この年、死期を予見していたムハンマドが、上記の池のほとりで集まった信徒に対してアリーの腕を取り「私を親しいとする者には、アリーが親しい。」と宣したことを指す。この預言者による後継者指名はシーア派には史実として受け入れられているが、スンナ派には捏造であると見なされている。ガディール・ホンムの伝承に対してスンナ派は、預言者ムハンマドが初代カリフとなるアブー・バクルを自身に次ぐ指導者にもっともふさわしい人物であると語った、とするいくつかの伝承を自宗派の正当性の根拠とする。
なんかシーア派とスンナ派が相容れない犬猿の仲みたいな内容になってしまいましたが、あくまでも預言者ムハンマドの時代からウマイヤ朝あたりまでのシーア派の歴史に対する認識の違いとして理解していただければ幸いです。彼らは普段からいがみ合っているわけではありません。もちろんウンマ間のスンナ派とシーア派の分裂から今日に至るまで、両派間の闘争はありました(最近の例としては、イラクでのスンナ派武装組織によるシーア派聖者廟の爆破事件など)。しかし約1400年に及ぶイスラームの長い歴史に鑑みれば、それらはまれな出来事として捉えるべきですし、その多くが宗教的な対立というよりも、政治的、経済的な対立に端を発するものでした。
ともあれこのように、いつ、どのようにして形成されたのか、という違いでしかないんですけど、どちらの視点に立つかによってシーア派の見え方が180度変わってくるわけです。これまで僕はガディール・ホンム云々なんかは知っていましたが、あくまでもスンナ派的にシーア派を勉強してきたんです。故に、これまで勉強してきた内容と異なるシーア派の歴史を教授され頭が混乱して、結果、「あ、イランにいるんだ」と思い知らされたわけです。これも留学の醍醐味でしょうか。
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